退職を決めた日
昨日、職場に社会保険料を払いに行った。無収入の身に56000円の負担は痛い。
3ヶ月ぶりだが、職場に近づくと以前と変わらず動悸がする。やっぱり復職は無理だと身体が言っているようだ。4月末で退職する意向を伝えていたが、正式に受理された。
転職先はまだ探しはじめてもいないし、仕事ができるのか、雇ってもらえる所があるのか、不安もある。しかし、もう苦しかった日々に戻る事を考えず、新しい一歩を踏み出す事に決めた。
不安の中にも覚悟が芽生えた。
私が、休職している間に他にも2人退職を決めたようだ。みんな、ぎりぎりで頑張っていたんだね。お互いよく頑張ったよね。
最近は、ハンドメイドのアクセサリー作りに没頭している、家の中で1人で作品を作っている時間が一番落ち着く。人とかかわらず、ずっとこんな生活をしていたいが、それでは生活が成り立たなくなる日も近い。
ライスワークと割り切って仕事を探そう。一歩前へ。
休職中の生活費はどうする?
ここのところ郵便物を見る気力もなく放置していたが、2月分の給与明細が送られてきていたのをようやく開封した。
12日間の有給休暇消化分のみ。そこから何やかんやいつも通り引かれて、差引支給額は、83000円ほど。
月々の生活費は17万円。切り詰めても16万円はかかる。おまけに医療費は毎月1万円超え。
今日は休職生活60日目だが、まだ職場からは傷病手当金の初回申請の書類は来ていないのでこの分だと3月分は無収入。どころか社会保険料を職場に払いに行かなければいけないのか?疑問と不安が頭をよぎる。
貯金の切り崩しは少々は覚悟をしていたが、思った以上の出費になりそうだ。
社会復帰を焦らずなどと考えているが、あまり悠長に構えていては老後破綻は目に見えている。
鬱病おひとりさまの生活は厳しい。
鬱日記 〜編み物で好転?
休職生活も2ヶ月が来る。
最初の2週間は、ほとんど寝て過ごしていた。
少し身体動くようになってからも、頭痛はなかなか取れなかった。
それでも社会復帰をしなければいけないという焦りの気持ちが強く、「自分でできるスキーマ療法ワークブック」など数冊の本をネットで購入したり、メンタル系のYouTubeを耳から情報収集しながら、自己流でリワークに取り組もうとしては、体調が悪くなり身体が動かなくなるということを繰り返していた。
何故人間関係がうまくやれなかったのか、自分の早期不適応スキーマ、認知の歪みは、どんなところで、何をどのように変えなければいけないのか、どうやったら変われるのといったことばかり考えて、頭の中が負の思考で埋め尽くされている日々だった。
毎日付けている、メモ程度の簡単な日記を見返してみると、好転しはじめたのは休職に入って40日目あたりのようだ。
社会復帰の事、うまくいかない人生の原因探しなど、考えることを一切放棄したのだ。
そして、最近は聴かなくなった落語を聴きながら、子供の頃好きだった編み物をはじめてみた。
好きな柳家喬太郎、柳家権太楼師匠の噺に久しぶりに爆笑し、気持ちが晴れるのを感じた。
そういえば、私が居なくなって職場の同僚の仕事が増えて迷惑をかけているのではないかと心配していたが、一切問い合わせの連絡はないことに今更ながら気がついた。私のいない職場を俯瞰してみると何一つ問題なく回っている事に気がつき、復帰を焦る気持ちもなくなった。私一人がいなくても誰も困る事なく、いつも通り時が過ぎている。寂しいという気持ちはなく、肩の荷が降りた感覚を覚えた。
復帰しなくてもいいかな?
編み物を始めたことで、材料を買いに外出する機会もできた。
休職生活49日目からは、「頭痛なし」という記録が増えている。
先週は、2〜3回散歩をしたり、散歩途中でカフェでひと休みしたりしながら、あえて人のいる環境に自分の身を置いてみたりした。
本日は休職生活57日目。この調子なら仕事もできるのではないかと思い始めている。
しかし、今までの職場でやっていく自信はない。いやむしろ近ずいてはいけない、危険だともう一人の私が言っている。
診断書の期間は3ヵ月なので、そろそろ身の振り方を考えなければいけない。
今日は、出すかどうかわからない、退職願と履歴書を書いてみた。
ゆっくり職務経歴を思い出しながら、やっぱり仕事が好きだったなと思う。
今私は58歳。今の職場の定年は60歳。
復職したとて、限られた時間の中で何ができるのだろうか。
そのような事を考えると、この機会にもう少し長く働ける職場を探してみる方が良い気がしてきた。
社会復帰するのはまだ早い気もしているが、一歩踏み出したいという気持ちもわいてきている。
次の受診の際にドクターに相談してみよう。
鬱日記 休職生活26日目
2月8日 休職生活26日目
朝ベッドの中で、藤井風君の曲を聴くと不思議だけど身体が動く事を発見。
6時半に無理なく起きあがれた。
朝食後、久しぶりにマニキュアを塗る。
鏡の中には白髪が目立ち清潔感のない自分が写っている。そういえばもう3ヶ月も美容院に行っていない。
今日は久しぶりにメイクをして美容院に行こう。そう決めて、鏡の中の自分に向かって少し口角を上げてみた。
午後から散歩を兼ねて歩いて美容院に行く。
気分を変えようと、いつもより短くカットしピンク系のハイライトを入れてもらった。
休職中だし少し派手になってもいいやと思い切って明るい髪色にしたが、我ながらよく似合う。気分が晴れやかになった。
生活を楽しむってこういう何気ない事でいいんだよね。
ゆっくり流れる時間の中でだからこそキャッチできた「快」の感覚に感謝。
鬱日記 休職生活25日目
2月7日 休職生活25日目
セルフリワークに取り組もうと決意したのはほんの10日前だというのに早くも挫折してしまった。
別件で先週数日入院をした。4人部屋で人が出たり入ったりの病室での生活は、今の私には刺激が強すぎたようだ。
こんな状態で社会復帰できるのか、不安や焦りの気持ちでいっぱいになる。
昨日はベッドの中で、リワークはまだ早すぎたのか、何から取り組んだら良いのかといったことをぼんやり考えていた。
前回の心療内科の面談の時、リワークプログラムについて私が話を持ち出したときのことを思い出していた。
何をどのように学べばいいのか、どのように生活改善を段階的にしていったらいいのか、私はそういったことを聞きたいと思っていた。
しかし私が期待していた答えは先生からは返ってこなかった。
「何か楽しめることがあればいいんだけどね」とだけ先生が言った、そのことの意味を昨日はあらためて反芻していた。
そういえばコロナ前は落語会によく行ってたなぁ。月一ペースで隣県あたりまでであれば出向き、時には東京迄落語遠征してたが、遠い昔のことのように感じる。
休職に入る前には、疲れたときによく藤井風君の「帰ろう」を聞いて癒されていたなぁ。
仕事復帰より、生活を楽しめるようになることの方が先なのかな?
今朝は久しぶりに風君の曲を聴き、ベッドから起き上がった。
午前中には15分だが散歩ができた。
みんなが仕事をしているときに休んでいるうしろめたさもあり、なかなか外出が出来なかったが、散歩をし日の光を浴びてみると、ちょっと前進したようで少し気持ちが晴れた。
自分の長所がわからない
1月29日 休職生活16日目
今日は今までで1番気分が良い。
集中力もあり、昨日から読み始めた書籍も一気に読み終えた。
今日のような調子なら仕事復帰できそうな気もするが、まだ自分に自信がない。自分には何もいいところがない無能な人間のような気がして自己評価が下がっている。
そこで、リクナビのグッドポイント診断というのを見つけてやってみた。
問題数293問を4択方式で選んでいく
そうすると18種類の特徴の中から5つの自分の強みがわかるというもの
自分の長所を言語化するのはなかなか難しいし、そもそも自分に長所があると思えないほどメンタルが落ちている今の私にとって、自己肯定感を上げてくれるなかなか優れものだった。
「親密性」→じっくり付き合う
「慎重性」→掘り下げて考える
「悠然」→ゆったり構える
「感受性」→場の雰囲気を感じとる
「冷静沈着」→いつもクール
という結果だった。
当たっているとは思えない部分もあるけど、まぁ客観的に見ると自分ってこんな感じなのかなぁと思える。
自分の短所を克服するより長所を伸ばす方が、自己効力感を高めるための近道になるのではないかと考えやってみたわけだが、なんだかちょっと褒められている感じがし、くすぐったいような嬉しさを感じた。
利己的な利他と承認欲求
昨日、朝6時に起床すると目標を決めたというのに、初日から身体が動かない。目が覚めても起き上がって活動する気力がわかない。
ようやく朝8時のゴミ出し期限に間に合う時間に行動開始することができた。
ゴミ出しができたのだから良かったとしよう。
もともとは朝型人間だと思っていた。朝バタバタと身支度をして急いで出かけるというような事もなく、休日であっても毎朝6時に起き活動していた。平日は決まった時間に家を出、職場へはだいたい1番に着く生活だった。
朝起き上がれないと言う状態になったのは休職に入る2ヶ月位前からだったと思う。
まだ体調が回復していないのだろう。あせらずできることをやっていこう。
「思いがけず利他」 中島岳志著
今日は「思いがけず利他」中島岳志著を読み始めた。1時間ちょっと集中して読むことができた。
コロナ禍を機に、特に若者を中心にクラウドファンディングなどを通じ「利他」への関心が高まっている。この潮流は新しい時代の予兆を感じさせる。
利他の循環が起き、利他のバトンを他者に受け渡す、見返りを期待しない利他が広がる社会に貢献したい気持ちが多くの人の心の中に芽生えたのではないだろうか。
一方で、自分の動機を正直に吟味してみた際、自分の中に利己心や承認欲求があることに気が付き、そのような自分にがっかりしてしまうことがある。
うっかり身の回りの人にクラウドファンディングのことを話そうものなら意識高い系などと揶揄されることになる。
また、寄付を行う際には、内容を読み共感したものに対して行う。しかし、言語化を通して他者に寄付を必要とする理由を伝え、共感される人間でなければ助けてもらえないのかと言う問題も起こってくる。
自ら助けを求めることができない立場の人へちゃんと届いているのかどうか見届けたい気持ちもある。
承認欲求を満たすための手段としてではなく、純粋な利他が当たり前のこととして広がっていく社会に関心を持ち、この本を購入した。
まだ集中力が続かず全て読み終えることができていないが、読了後に私の心中にどのようなものが芽生えるのか楽しみにしている。