終わり良ければ…

全て良し…とはいかないけれど … 日々の記憶を楽しい記憶に書き換えて終わりたい…

街の本屋さん

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本屋さんの特集が面白そうだったので、男性ファッション誌を買ってみた。

私の住んでいる街には、2件しか本屋さんがない。

雑誌やら参考書やらがほとんどで、読みたいものは見つからない。

だから、いつも隣市のちょっと大きめな本屋さんに行く。

1階が新書やカフェ、2階が古本やレンタル屋さんやネットカフェ。

なんでもある本屋さんだ。

昔は私の街にも小さな本屋さんが、ちらほらあった記憶があるが、

これも時代の流れなのか、

街から本屋さんが消える......

ありうるなと思った。

 

 

いい本屋には ‘‘クセ” がある。

個性的な本屋って、なんかいいなぁ......って思わせる、素敵な特集だった。

コンセプトがしっかりしていて、そこに行けば 自分の読みたい本に出会える っていうような本屋さんに 巡り合いたいものだ。

 

もしこの世から本屋さんが消えちゃったら......僕がやりますよ。

場所は田舎町がいいですね。 山も海もあるような場所で、あまり大きくなくていいから、古本屋兼貸本屋をやりたい。本を読みながらのんびり店番をして、読み終わったらそれを売る、みたいな。そう簡単にできるとは思いませんが、そういう生き方には憧れますね。

 東出昌大さんの話、まさにその通りって思った。

定年後は、「晴耕雨読」って名前で、古本屋をやって、

雨の日には店番をしながら、本を読んで

晴れの日は、「下ノ畑二 居リマス」って黒板に書いて、土いじりする......

そういうのもいいな......と妄想する。

 

どんなに、ネットストアが普通になっても、やっぱり本は、本屋さんで巡り合うのがいいと思う。

古本も味があっていい。

そこに、誰かが入れた線なんかがあれば、知らない誰かの人生に、この本はどんな影響を与えたんだろうと、温かい気持ちになる。

新書でも、古本でも、本は手で触れて、鼻でにおいを感じて、数ページ読んでみて、選びたい。

だから、街から本屋さんが消えたら大変だ!

 

ポパイに、私の生まれた街、尾道の個性的な本屋さんのことが出ていた。

「紙片」という本屋さんらしい。無性に行ってみたくなった。

 

尾道にはもう何年も行っていない。

物心つく前には尾道を離れていたが、親戚があったので、子供のころは、花見やら花火やら、四季折々によく行っていた。

今では、行くことがなくなったが、ずいぶん変わり、なんだかとても素敵な街になっているようだ。

ポパイを読みながら、なんだか尾道を歩いてみたくなった。

そういえば、昔、母のアルバムに 尾道の「孔雀荘」という画廊喫茶で、とった写真があったのを思い出した。

吸いもしないたばこを片手に持っていて、写真の端には「たばこは動くアクセサリー」と書いてあった。

まだ私がこの世に生を享けてもいなかったころの1枚。

若かりし頃の母の、すました写真が好きだった。

大人になったら、一度行ってみたいと思っていたけど、そのままになっていたなぁ。

ネットで調べたら、まだやっているようだ。

尾道は歩く街だから、もう少し涼しくなってから、両方目指して行ってみようかな。

「江戸の家計簿」磯田道史 … 今週の読書

 

江戸の家計簿 (宝島社新書)

江戸の家計簿 (宝島社新書)

 

 

「江戸の家計簿」と古典落語

徳川家康が幕府を開いた当時、寒村だった江戸に、町つくりのために、三河駿河から大工などの職人が呼び寄せられた。

そして、支配階層である 武士の生活を支えるために、様々な商人たちも集まってきて、人口100万人を超える大都市が形成された。

そこに住む、庶民の暮らしぶりはどんなだったのだろう。

「江戸の家計簿」には、現代感覚に換算して、収入や物の値段、金銭感覚、娯楽などが

わかりやすく、興味深く 紹介されている。

意外に、大工の年収800万とは高給取りだなぁとか、

同心の年収300万って安っ!とか、

落語によく出てくる長屋の大家って、雇われの管理人みたいなもんだったんだぁ

などなど、新しい発見満載 ‼︎

 

古典落語を聞きながら、ふと疑問に感じることがある。

例えば、

・「大工調べ」に出てくる、大工の与太郎の滞納していた家賃、一両二分と800ってどれくらいなんだろう?

・「芝浜」で、拾った四十二両ってどれくらい?

・「時蕎麦」でごまかした1文は、どれくらい?

などなど......

当時のお金事情や、どういう時代だったのかを、

知識として、解ったうえで聞く古典落語はさらに面白い。

 

今以上の格差社会に生きた江戸時代の人々。

身分制度ゆえに忍ばなければいけないことや、

努力しても変えられず涙を飲むこともいっぱいあったはずだ。

だけど、その中から、名もない庶民の生活を切り取り、のぞいてみると、

人情や、何ともおおらかな笑いに満ちた、魅力的な人たちが飛び出してくる。

人間関係が希薄な現代、

江戸の人情が、疲れた心を、ちょっと和ませてくれる。

 

どの時代にも、暮らしやすさと 生きにくさは共存しているのだろう。

どの時代に生まれても、人には、今いる環境の中でそれなりに楽しめる能力があるのかもしれない。

 

江戸時代に生まれていれば良かったとは思わない。

今が決して「良い時代」だとも思わない。

しかし、人類の長い歴史の中で、自分が今の時代に生きていることを、

根拠はないが「良かった」と感じている。

 

「ある奴隷少女に起こった出来事」 ハリエット・アン・ジェイコブズ(訳 堀越ゆき)… 今週の読書

 

ある奴隷少女に起こった出来事 (新潮文庫)

ある奴隷少女に起こった出来事 (新潮文庫)

  • 作者: ハリエット・アンジェイコブズ,Harriet Ann Jacobs,堀越ゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/06/28
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る
 

新潮文庫の100冊」2017 の中の1冊

 

読者よ、わたしが語るこの物語はフィクションではないことを、はっきりと明言いたします。

......

奴隷制によって引き起こされた悪を、私は大げさに書いたわけではありません。むしろ、この描写は事実のほんの断片でしかないのです。

 

このような序文からはじまる本書は、そう、にわかには信じられない が、「実話」なのだ。

160年前に、無名の黒人奴隷女性の手によって綴られ、自費出版され、奴隷解放運動の集会などで細々と売られ、やがてほぼ完全に忘れ去られていたものだ。

執筆から、120年以上の歳月を経て、再発見され学術的な注目を集めることになり、それから、じわじわと読者を増やしながら、この度、新潮文庫の新刊として、書店に並んだ。

 

奴隷州(南部)に、黒人奴隷として生まれた女性は人格を持つことすら許されない。

家畜と同様に、家財の一つとして扱われ、14歳か15歳になるころには、奴隷少女を支配する好色な主人らによって乱暴される。

そして、生まれた子供は、たとえ自由人の血が混じっていようと、「母の身分に付帯する条件を引き継ぐ」ため、生まれながらに奴隷となるのだ。

父親としての愛情がその子に注がれることはない。お金になる家畜が増えるくらいの喜びは、持つかもしれないが......

 

"ある奴隷少女に起こった出来事"

これは、国家、法律、正義にも見捨てられた黒人奴隷の一少女が、人権と自由を手にするため、また、人としての尊厳を守るため、命をかけて戦った記録だ。

私は、今まで、奴隷制度の残忍さを本当の意味で知らなかった。今でも知っているとは言えないだろうが......

歴史としての、奴隷制度や南北戦争について、うすぼんやりと記憶にはあるが、一人の人間としての視点から見ていなかった自分に対して、失望し、愕然とした。

 

人が、当然の基本的人権を手にするために、いったいどれだけの涙、汗、血が流れてきたことか。

いや、本当にこの根深い悪制の名残が、完全に拭い去られることなどあるのだろうか。

 

形は違っても、この日本でも、このような歴史を繰り返し、人としての尊厳を声高に語ることが出来る今がある。

私が、あたりまえのことのように考えていることや正義が、当たり前ではなかった時代を、私は知らないで育った。

当然のもの過ぎて、大事にしてこなかったものが、どれだけ沢山あることだろう。

奴隷少女が手にするために命をかけた、尊厳や信念を、自ら捨ててしまったこともあった......

社会に目を向けると、

格差社会、抜け出せない貧困連鎖、パワハラなど、様々な社会問題が存在している。

形は様々ではあっても、ランク付け的なものの見方が根底にあるのだろう。

どうやら、人類はいまだに、「優劣をつけたがる弱い心」からの自由を手に入れることが出来ないでいるようだ。

 

環境が人の考えを変える。その時々の社会が「正しいこと」として提供するものや、価値観によって、容易に自分の考えが影響されることもあるだろう。

自分は、これから先、社会がどのように変化していっても、勇気をもって自分の価値観を持ち続けることが出来るのだろうか。

 

「ボクたちはみんな大人になれなかった」 燃え殻......今週の読書

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

 1990年代、地方から見る東京はキラキラしていた。

東京に行き東京に愛された人、夢破れて帰ってきた人、そして、遠くから憧れだけを抱いて 傍観していた私。

地方に住む私にとっての東京は、成功の象徴だった。

 

夢なんてなかった。

自信のかけらもなかった。

傷つく勇気もなかった。

息をひそめながら、なんの努力もせず、ただ全てを境遇のせいにして 逃げていた。

そんな私の90年代…

その頃の私には、

社会の一員としてカウントされず、東京の片隅で、這いつくばり、必死にしがみつきながら、逃げ出さず、いつしか東京に認められるようになっていった人たちのことは、全く見えていなかった。

 

"ボクたちはみんな大人になれなかった"

これは、唯一自分よりも好きになった「最愛のブス」がいるだけで、

「夢と目標の前に、今日の晩メシ代がギリギリ」という時代を、

この東京で、踏ん張って生き抜いた 孤独な「ボク」の 私小説だ。

 

「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」

最愛の人に承認される......ただそれだけで、そんな記憶があるだけで、人はこんなにも強くなれるんだ。

 

彼女に教えられたのは、心の傷ってやつにもいろいろあって、時が癒してくれる傷と、膿のようにずっと心の底に居つく傷があるということだった。フェイスブックが無神経に差出した彼女のページを見て、その心に沈殿していた傷がシクシクと突然うずきはじめた。彼女はいつまでも思い出にさせてくれない人だった。

「ボク」とは、まったくちがった場所で生きてきて、同じような経験をしてきたわけでもない私のはずなのに、なぜか胸が、いや腸のあたりが、ギューッと反応する。

好きだった人に、素直に言えなかったことばや、

心を通わせるためのささやかな努力の積み重ねを面倒くさがったこと、

途中で投げ出したままにしてきたことの数々が、

膿のように居ついているのを感じる。

 

 

「いま、孤独なんだ」を「いま、自由なんだ」って言い換えると、鎮静剤くらいには効くんすよ

そうだね。私もそうやって、鎮静剤を乱用しながら生きてきたよ……

 

 

あんなにたくさんの人間と会ってきたのに、誰とも一緒にいることができなかったなあ

そうだね。私たちおんなじだね。出逢ったたくさんの人と繋がる努力をしなかったんだね……

 

いちいち反応しながら、反芻しながら、読んでいた。

 

 

どんなにコミュニケーションが変わってもボクたちは「孤独」が怖いままなんだ。一等星から六等星まで、その光の強さ、大きさはそれぞれ違うけど、もっと速く、もっと深く、本当はみんなひとりぼっちが怖くて、どこかに繋がりたいと叫んでいるように感じた。

 

読んだ後、誰かとつながりたいと、なんとなく思った......

繋がるための、面倒くさいことを、ちょっとしてみてもいいかなと思った......

 

いまが、過去になった時、

私は、何を、どんなふうに思い出すのだろうか......

 

衝撃

仕事帰り、

車を運転しながら、何気なく流れてくるテレビの音を聞いていた……

流れてきた 歌声に、

ストレートな歌詞表現に、

思わず込み上げてきた感情に、

深い衝撃を受けた。

聴き入りながら、涙が流れるのを感じた……

 

いったい誰なんだ?この人は……

テレビに出るのだから、そこそこ有名な歌い手なのだろうが。

 

竹原ピストル

その人は、有名な賛美歌「アメイジング グレース」に自作の詩をつけて 歌っていた。

野生的な風貌と 叫ぶような 独特な歌い方。

これまで、こういったジャンルの歌を自らチョイスして 聴くことはなかった。

そもそも、最近は 音楽番組を見ることもない。

だから、この衝撃は、本当に偶然、「竹原ピストル」の、流れ弾に当たったようなものなのだ。

 

変わった歌だなぁ…から、なんだなんだ! に変わり、

心を撃たれるまでに、それほど時間はかからなかった。

こんな短い、たった1曲で、ここまで 心に訴えかけ、伝えることができるとは、

なんてすごい表現者なのだろうと、すなおに思えた。

もっと、聴いてみたい、追いかけてみたいと思える表現者に出逢った気分だ。

 

ここのところ、いろんな人が、いろんな場で、いろんな方法で、

死について、命について、考え、表現するのを目にする。

それはとても大切なことだと思う。

避けて通りがちな「死」について考える時、生をこれまでとはちがったものとして見るようになり、生きている今を大切に思う気持ちが育つのだろう。

 

「余命」谷村志穂 … 今週の読書

 

余命 (新潮文庫)

余命 (新潮文庫)

 

滅んで行く自分の肉体を新しい命につなげたい......

もし、がんの再発を、自分のことを心から愛してくれる夫が知ったならば、産ませてはくれないだろう......

現役の外科医である「滴」は、がんの再発を自ら発見し、夫や信頼する同僚、友人にも打ち明けず、治療より、出産を選択するという、孤独な決断をする。

愛しているゆえに、夫を遠ざけ、周囲を遠ざけ、死の恐怖に怯えながら、たった一人で戦いに挑む。

 

普段は心の奥底に押し込んで、見ないようにしている「死」から心を逸らさず、向き合い、見つめるとき、

余命を切られた方の「孤独」が、かすかに見えてくるのだと思う。

残された日々が少ないことを知っているからこそ、あしあとを残したい。

残してゆく愛する者への最良の贈り物を用意したい。

たとえその努力が 時間としての自分の命を削ることになったとしても......

それが、がむしゃらに生きてきた自分らしい選択ではないか……

そういった気持ちへの理解が得られないと感じたとき、心はすれ違い、孤独になる。

 

人の命は無限ではない。

砂時計の砂が落ちていくように、サラサラと落ちていっている。

その落ちる速度には、違いがあっても……

 

滴が、自分の砂時計の速度を 早めてでも残したいと思ったものは、

新しい生命という「自分たち夫婦へ与えられた恵み」だけではないだろう。

40を目前にし、いつまでも夢を追い続けて、生活力がないが、優しく愛情深い夫……

経済的には滴が支えることができており、今まではそれでもよかった。

お互いがお互いを必要としていたから……

しかし、滴のわずかばかりの預金など 医療費が食い尽くし、自分の命とともに跡かたもなく消えてしまうだろう。

生まれてきた子供と 愛する夫が 二人で 路頭に迷ってしまっていいのだろうか?

焦りと苛立ちから、夫に辛くあたり突き離すようになる。

そして、滴なりの方法で、愛する夫を成長させていく。

 

 

「もっと早く気がついてあげられれば」

「あの時こうしてあげればよかったのではないか」

「もっと 何か方法があったのではないか」

どんなに、献身的に介護をしていても、

愛する人を亡くした時、寄り添ったものには、少なからず後悔の念が湧いてくる。

しかし、何が「最善の選択」だったのかなんて、誰にもわからない。

患者本人が、自分で納得し、自分で決めるという、プロセスを踏んだということが、「最良の選択」なのだろう。

そしてそのことが、残された愛する人たちを、悲しみの淵から 立ち上がらせ 歩き出させる力となる。

最高の「グリーフケア」となるのだと思う。

 

人生は、最後の5年間が勝負だ。

最期の瞬間まで人間は成長できる。

身体がどんなに衰弱しようとも、たくさんのものを与え、残すことができる。

 

滴の最後の5年間については、わずか14ページしか さかれていないが、そこには こぼれ落ちた たくさんの物語があったことだろう。

最後の5年間に滴が何を思い、何を選択し、どう生き切ったのか……

もう少し、そのこぼれ落ちた物語を読んでみたかった気がするが、

思いをめぐらせ、想像することしかできない……

 

「こわれもの」浦賀 和宏 … 今週の読書

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ミステリーだということに、気付かずに 途中まで読んでいた。

前半は、「ヒューマン」的で、後半は「謎解き」的という印象…

裏表紙の 紹介文の最後の1行に書かれた 問いかけ …

「最後の1ページで あなたは何を想いますか?」

という 考えを刺激する投げかけに惹かれて、手にとった1冊だ。

 

人は、「こわれもの」だ。

・売れっ子漫画家の 陣内龍二は、婚約者を 突然の事故で 失って、こわれた…

   そして、自分の漫画のヒロインである、ハルシオンを 突然、作中で事故死させた。

   婚約者の死と 同じように、「唐突」に「伏線」もなく…

・そのことが、ハルシオンの熱狂的なファンである 三橋をこわした…

    三橋にとって、ハルシオンの存在は、かけがえのないものだった。

   ーーあなたは醜くない。弱くもない。

   ーー強い人は、美しいから。

   ハルシオンの、言葉は、外見にコンプレックスを抱き

   自信のなさや、居場所のなさを抱えている 三橋を支えていた。

   そして、陣内龍二への復讐(殺人)を決意させた。

・神崎美佐は、娘を自殺で亡くし、こわれた…

   恋人であった、陣内龍二から裏切られ、壊れ、自殺した我が子…

   娘が味わった、歓喜から絶望へと、一気に叩きつけられる、

   その筆舌に尽くしがたい 同じ苦痛を

   陣内龍二に味わわせるためだけに、残りの人生を 捧げた。

 

心を支えてくれていたものを 全て失う時、人はこわれる。

キレたり、逆怨みしたり、憎みすぎたり…

現代は、どうも極端にはしりすぎるように感じる。

人との繋がりが 希薄な 現代に生きる私たちは、

一つのものに依存しすぎているのではないのだろうか?

心を支えるものが、少なすぎる。

一つのものに依存すると、それを失う時、全ての支えをなくすことになる。

 

意図せず、誰かを 傷つけたり、誰かに、傷つけられることもある。

今までの人生の中で、どれだけたくさんの人を傷つけてきただろうか?

誰が、何に、傷ついているかなんて 知る由も無い。

 

人の心に無神経であっては、絶対にいけないと思う…

だけど…

壊れたものを 壊れたままにしておくのか…

       それとも、修繕するのか

何かに躓いて転んだ時、転んだままでわめき続けるのか…

       それとも、起き上がるのか

そこはもう、他の誰の責任でもなく、自分自身の責任だ…と思う。

 

運命を壊すことができるのか?

陣内龍二は、「死を予知することができる能力を持つ」と自称する女に翻弄される。

自分の死の予知を受け、苦しみながら、その死に立ち向かい、打ち勝とうともがく。

 

運命というものが、決まっているのであれば、それを変えることはできるのか?

そもそも、運命は決まっているのか?

 

もし決まっているのであれば、人生はなんと虚しいことか…

そうであれば 私は、なんの努力も、摂生も しないことだろう (今でもしていないが…)

 

過去は変えられない ( 過去の意味付けということであれば、変えられるが…)

現在は、もちろん、変えられる。すぐに結果は出なくとも…

未来は…決まっていない と思う。

 

「…まだ存在していない未来の粗筋なんて、こわれもののガラス細工のように、もろいもののはずだから。」

この、最後の1ページを読んで、清々しい気持ちになった…