終わり良ければ…

全て良し…とはいかないけれど … 日々の記憶を楽しい記憶に書き換えて終わりたい…

落語会備忘録……立川志の輔

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秋の京都

今にも降り出しそうな空模様の中

はるばる京都まで

志の輔落語を聴きに 日帰り旅行

 

古典だったらいいなと思いながら

春秋座の長い階段を息を切らしてやっとこさ登る

運動不足だなぁ

80歳まで落語会に行けるくらいの体力維持しなきゃいけないな

などと考えながら……

 

この度は 2席とも古典

新作より古典の方が好みなので 大満足だった

 

新鮮だったのは

照明効果

志の輔さんの落語会は初めてなので

いつもなのか、春秋座だからなのかはわからないが

客席が 真っ暗になる

ほかの落語会では経験したことがない

大抵 客席は明るくて

周囲の人の 表情だったり

かばんをつついていてるのだったりが見えたり

時には、演者と目が合ったりするのだが

そういった 周囲がちょっと気になるなぁ なんてこともなく

落語の世界にどっぷりつかれる

ふと気がつくと いつのまにか 舞台の 照明も変わっているようだ

最初は、背景が 鮮やかな青系で、「綺麗っ!」って思ったけど

いつ変わったのかわからないうちに

落ち着いた色に変わっていた

もしかしたら 照明まで 計算されているのだろうか?

だとしたら、凄いこだわりようだなぁ

 

音にも気を配ってあったようで

落語の間は 携帯電話がならないように

抑止装置が使われていたようだ

 

志の輔さんが 「江戸に お連れする」と表現されていたが

まさに、細部にまで気配りが行き届いた 

「 お も て な し 」だ

 

「名作落語50席がマンガで読める本」......今週の読書

 

名作落語50席がマンガで読める本

名作落語50席がマンガで読める本

 

 マンガで落語ってのはどうなんだろう……

私だけの落語国の住人がいなくなってしまうかもしれないという不安を抱きつつ、手に取った。

今まで、私の想像していた落語国には、イケメンはいない。

女性もそんなに美人はいない。

はっつぁんも熊さんも、どちらかというと、中年で、特に記憶に残らない顔立ちをしている。

というか、顔なんて想像していなかった……

まあ、最近は、喬太郎師匠ばかり聞いていたから、

イケメンや美女を想像することに、無理がある気もするのだが……

だが、このマンガを見てから、落語を聴くと、

睡眠前にいつも聞いている落語に、昨夜はイケメンが登場した。

年齢層も若くなった。

よくよく考えてみると、文七元結の文七だってお久だって

錦の袈裟だって、みんな若者なんだよなぁ……

少なくとも、現代の「お年頃」と比べると、ずっと年齢層が低いはずだ。

若者やイケメンや美女が登場しなかった、自分の想像力のなさに笑えてきた。

 

なんといっても、二つ目ユニット「成金」による解説が、とてもよくわかって面白い。

いっそう落語が身近に感じられる。

 

長屋の付き合いの中には、現代に欠けているものが存在する。

職業柄、地域福祉という観点から物事をみることが多い。

長屋には、衣食住に関する困ったことは全て、お互いに助け合うコミュニティがあった。

「らくだ」では、長屋の鼻つまみ者だった らくだ が、フグにあたって死んだ時、

訪ねてきて遺体を発見した兄貴分と屑屋が、弔いをあげるため、ドタバタと奮闘する。

現代では、孤独死で 何日も発見されないなんてことになっても不思議はないケースだが、

らくだは、翌日には発見され、お金がないなりにも、ちゃんと弔いをあげてもらえている。

江戸には、その成り立ちからか、男性が圧倒的に多く、女性が少数だったため、

一生独身で過ごす男性も珍しくなかったようだ。

お一人様が多いという点は、現代と共通する部分だろう。

だからこそ、世代を超えた濃密な人間関係と、それを鬱陶しく感じない図太さやおおらかさ、規格外の人を排除しない寛容さが、必要だったのだろう。

私が、落語にハマったのは なんでなのかなと、今更ながら考えてみると、

こういうコミュニティへの憧れがあるのだろう。

また、こういう地域作りをしたいという思いがあるにもかかわらず、何もできないでいる、個人の力の限界を感じているからなのだろうと思う。

 

 

 

 

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うちの 書斎の片隅には落語コーナーがある。

滅多に使わない脚立を書棚にしているだけの小さなコーナーだけど、

今、一番心休まる お気に入りの場所だ。

「埴原一亟 古本小説集」  山本 善行 撰 …… 今週の読書

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雨降りの日曜日……

久しぶりに 自宅でゆっくりと 読書をしたい気分で、

選んだのが、埴原一亟。

この夏、夏葉社から出た新刊で、

戦前、戦中、戦後を生きた、無名な この小説家の埋もれた7編の作品を、

京都の古書店「善行堂」の店主、山本善行さんという方が選び、刊行されたようだ。

 

購入した直後に1度、読んでいるにもかかわらず、

他にも書棚には、買っただけで読んでいない本が結構あるにもかかわらず、

何故か手にとり、2度目の読了となった、不思議な魅力がある小説集だ。

 

さして、大きな事件や、衝撃があるわけではない。

生活者の視点から、

日々を生きることの、風味が溢れ出てくる。

実に、滋味掬すべき作品集だ。

 

作為なく、素直に、真実とか正論とかを、

感じたままに書くことがとても難しい時代。

その時代に即した考えでなければ、「性格異常者」と評され、

弁解すればするほど、作為ととられる、不信の時代に、

それでも、静かに、

急激に変化を遂げようとする時代の歪みを観察し、

ただ、自分の気持ちを見つめながら、小説として描き綴ったような、作品集だった。

 

物事は、見方や立場、環境などによって、どうにでも解釈できる。

そして、ささやかな幸福を味わうこともできる。

その、ささやかな幸福によって、人は生きられる。 

岡山落語名人会

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5月からチケットを確保し、楽しみにしていた 岡山での落語会に本日行ってきた。

 

会場に着いての第一印象は......

客の年齢層が高い......

演者によるのか、地域柄なのか、敬老会かと思った。

若い世代があまりにも少ない!

落語ブームと言われているが、岡山にはまだブームは到達していないのか?

落語の将来が心配になった......

 

この度は、東は円楽に好楽、西は文珍に八光、と、東西両方の落語が聞けるというちょっと贅沢な落語会だった。

私は、江戸の粋な言葉が好きなので、普段はもっぱら、江戸落語を聞いてる。

西日本に住みながらこれまで上方落語はほとんど聞いたことがなかった。

しかしそれも、食わず嫌いだったようで、以外に抵抗なく楽しく聞けた。

 

好楽さんの 唄が上手いと、袴姿が決まっていたのに感心した。

笑点では、つまらまいキャラだけれど、

まあ、つまらないときもあるけれど、

あのいつも笑った顔とドヤ顔が、なんだか幸せな気分にさせてくれる。

「ヘベレケ」と、「若旦那」が似合いそうだな、と思いながら聞いていた。

 

普段聞かない落語家ばかり、初めての演目ばかりの公演会で、大満足の一日だった。

 

円楽クッキーと、笑点の付箋とクリアケースを土産に、い~ こころもち で会場を後にした。

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victory 2

2年前の 今日、9月18日

癌を切除した……

 

そして 今日、9月18日

元気に生きてカープの V8 を 見ることができている……

 

感謝と歓びが込み上げてくる……

江戸っ子じゃなくったって、落語は楽しい

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今日は 京都での「立川志の輔 独演会」(2017.11.17~19)のチケットの発売開始日。

絶対に取ろうと思っていたので、仕事を休みにしておいた。

最近は、近くも遠くも見えずらくなったため、できれば前の方の席が取りたいと思い、朝10時の発売開始時間きっかりに、近所のセブンイレブン行き、チケットを 確保した。

 

地方在住の私は、「寄席」にふら~と行けないので、

生で落語を聞こうと思ったら、ホール落語に行くことになる。
最初は意外に思えたが、地方にも落語ファンは多くいるようで、会場は結構一杯なのだ。
最近は足をのばし 県内だけではなく日帰りできる範囲で、3~4か月に1度のペースで、

行けそうな公演は、なるべく早くチケットを購入したいと奮闘している。

地方で行われる ホール落語に行くようになったのは2年前。

特に贔屓の落語家がいるわけではないが、
春風亭昇太が、私の「生落語デビュー」だった。
まくらから演目に変わった瞬間、空気が変わった気がした……

息が吹きこまれる感覚……
上手くは表現できないが、「これが、生で落語を聞くってことなのか……」と感動した。

昨夜の、ほぼ日の読書会の最後の方で、糸井さんが、「伝承芸能は文章に残したら屍体になる」と言われたが、その感覚わかる気がした。

 

初めて落語を聞いたのも、昇太師匠だった。

3年位前、初めてYouTubeで、

昇太師匠の 軽薄 いや 軽快な語り口調の「ストレスの海」を聞いて、

私の中で、これまでの 古臭くて コムズカシイ噺という落語のイメージが崩れた。

「落語ってこんなに面白いんだ! なんでもっと早く聞かなかったんだろう」と軽い衝撃を受けた。

 それからだんだんと、他の演者のものや、古典落語も聞くようになった。

それは、「伝承芸能」のようではなく、

それぞれの演者が、基礎の上にオリジナルなお笑い要素を盛り込み、

個性あふれる噺に仕上がっていた。

 

やがて、「落語家」立川談志や、「噺家柳家小三治

さらに遡って、志ん朝志ん生などの、古い音源のCDも聞くようになった。

だんだんと、落語の深みにはまって行くのが、自分でもわかった。

まだまだ、落語初心者なので、いろいろな落語家の噺を聞きながら、好みの演者を探している段階だ。

 

落語研究家ではないし、話す側の人ではないので、

不勉強ではあるが、

楽しめればそれでいいと思っている。

江戸や上方の、小粋なおじさまだけの エンタメにしておくのはもったいない。

現代のどんなお笑いにも引けを取らないエンタメとして、

広く、ゆるく、広まって欲しいものだ。

 

 

街の本屋さん

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本屋さんの特集が面白そうだったので、男性ファッション誌を買ってみた。

私の住んでいる街には、2件しか本屋さんがない。

雑誌やら参考書やらがほとんどで、読みたいものは見つからない。

だから、いつも隣市のちょっと大きめな本屋さんに行く。

1階が新書やカフェ、2階が古本やレンタル屋さんやネットカフェ。

なんでもある本屋さんだ。

昔は私の街にも小さな本屋さんが、ちらほらあった記憶があるが、

これも時代の流れなのか、

街から本屋さんが消える......

ありうるなと思った。

 

 

いい本屋には ‘‘クセ” がある。

個性的な本屋って、なんかいいなぁ......って思わせる、素敵な特集だった。

コンセプトがしっかりしていて、そこに行けば 自分の読みたい本に出会える っていうような本屋さんに 巡り合いたいものだ。

 

もしこの世から本屋さんが消えちゃったら......僕がやりますよ。

場所は田舎町がいいですね。 山も海もあるような場所で、あまり大きくなくていいから、古本屋兼貸本屋をやりたい。本を読みながらのんびり店番をして、読み終わったらそれを売る、みたいな。そう簡単にできるとは思いませんが、そういう生き方には憧れますね。

 東出昌大さんの話、まさにその通りって思った。

定年後は、「晴耕雨読」って名前で、古本屋をやって、

雨の日には店番をしながら、本を読んで

晴れの日は、「下ノ畑二 居リマス」って黒板に書いて、土いじりする......

そういうのもいいな......と妄想する。

 

どんなに、ネットストアが普通になっても、やっぱり本は、本屋さんで巡り合うのがいいと思う。

古本も味があっていい。

そこに、誰かが入れた線なんかがあれば、知らない誰かの人生に、この本はどんな影響を与えたんだろうと、温かい気持ちになる。

新書でも、古本でも、本は手で触れて、鼻でにおいを感じて、数ページ読んでみて、選びたい。

だから、街から本屋さんが消えたら大変だ!

 

ポパイに、私の生まれた街、尾道の個性的な本屋さんのことが出ていた。

「紙片」という本屋さんらしい。無性に行ってみたくなった。

 

尾道にはもう何年も行っていない。

物心つく前には尾道を離れていたが、親戚があったので、子供のころは、花見やら花火やら、四季折々によく行っていた。

今では、行くことがなくなったが、ずいぶん変わり、なんだかとても素敵な街になっているようだ。

ポパイを読みながら、なんだか尾道を歩いてみたくなった。

そういえば、昔、母のアルバムに 尾道の「孔雀荘」という画廊喫茶で、とった写真があったのを思い出した。

吸いもしないたばこを片手に持っていて、写真の端には「たばこは動くアクセサリー」と書いてあった。

まだ私がこの世に生を享けてもいなかったころの1枚。

若かりし頃の母の、すました写真が好きだった。

大人になったら、一度行ってみたいと思っていたけど、そのままになっていたなぁ。

ネットで調べたら、まだやっているようだ。

尾道は歩く街だから、もう少し涼しくなってから、両方目指して行ってみようかな。