終わり良ければ…

全て良し…とはいかないけれど … 日々の記憶を楽しい記憶に書き換えて終わりたい…

victory 2

2年前の 今日、9月18日

癌を切除した……

 

そして 今日、9月18日

元気に生きてカープの V8 を 見ることができている……

 

感謝と歓びが込み上げてくる……

江戸っ子じゃなくったって、落語は楽しい

f:id:meisyu3ie:20170830170311j:image

今日は 京都での「立川志の輔 独演会」(2017.11.17~19)のチケットの発売開始日。

絶対に取ろうと思っていたので、仕事を休みにしておいた。

最近は、近くも遠くも見えずらくなったため、できれば前の方の席が取りたいと思い、朝10時の発売開始時間きっかりに、近所のセブンイレブン行き、チケットを 確保した。

 

地方在住の私は、「寄席」にふら~と行けないので、

生で落語を聞こうと思ったら、ホール落語に行くことになる。
最初は意外に思えたが、地方にも落語ファンは多くいるようで、会場は結構一杯なのだ。
最近は足をのばし 県内だけではなく日帰りできる範囲で、3~4か月に1度のペースで、

行けそうな公演は、なるべく早くチケットを購入したいと奮闘している。

地方で行われる ホール落語に行くようになったのは2年前。

特に贔屓の落語家がいるわけではないが、
春風亭昇太が、私の「生落語デビュー」だった。
まくらから演目に変わった瞬間、空気が変わった気がした……

息が吹きこまれる感覚……
上手くは表現できないが、「これが、生で落語を聞くってことなのか……」と感動した。

昨夜の、ほぼ日の読書会の最後の方で、糸井さんが、「伝承芸能は文章に残したら屍体になる」と言われたが、その感覚わかる気がした。

 

初めて落語を聞いたのも、昇太師匠だった。

3年位前、初めてYouTubeで、

昇太師匠の 軽薄 いや 軽快な語り口調の「ストレスの海」を聞いて、

私の中で、これまでの 古臭くて コムズカシイ噺という落語のイメージが崩れた。

「落語ってこんなに面白いんだ! なんでもっと早く聞かなかったんだろう」と軽い衝撃を受けた。

 それからだんだんと、他の演者のものや、古典落語も聞くようになった。

それは、「伝承芸能」のようではなく、

それぞれの演者が、基礎の上にオリジナルなお笑い要素を盛り込み、

個性あふれる噺に仕上がっていた。

 

やがて、「落語家」立川談志や、「噺家柳家小三治

さらに遡って、志ん朝志ん生などの、古い音源のCDも聞くようになった。

だんだんと、落語の深みにはまって行くのが、自分でもわかった。

まだまだ、落語初心者なので、いろいろな落語家の噺を聞きながら、好みの演者を探している段階だ。

 

落語研究家ではないし、話す側の人ではないので、

不勉強ではあるが、

楽しめればそれでいいと思っている。

江戸や上方の、小粋なおじさまだけの エンタメにしておくのはもったいない。

現代のどんなお笑いにも引けを取らないエンタメとして、

広く、ゆるく、広まって欲しいものだ。

 

 

街の本屋さん

f:id:meisyu3ie:20170811161653j:image

本屋さんの特集が面白そうだったので、男性ファッション誌を買ってみた。

私の住んでいる街には、2件しか本屋さんがない。

雑誌やら参考書やらがほとんどで、読みたいものは見つからない。

だから、いつも隣市のちょっと大きめな本屋さんに行く。

1階が新書やカフェ、2階が古本やレンタル屋さんやネットカフェ。

なんでもある本屋さんだ。

昔は私の街にも小さな本屋さんが、ちらほらあった記憶があるが、

これも時代の流れなのか、

街から本屋さんが消える......

ありうるなと思った。

 

 

いい本屋には ‘‘クセ” がある。

個性的な本屋って、なんかいいなぁ......って思わせる、素敵な特集だった。

コンセプトがしっかりしていて、そこに行けば 自分の読みたい本に出会える っていうような本屋さんに 巡り合いたいものだ。

 

もしこの世から本屋さんが消えちゃったら......僕がやりますよ。

場所は田舎町がいいですね。 山も海もあるような場所で、あまり大きくなくていいから、古本屋兼貸本屋をやりたい。本を読みながらのんびり店番をして、読み終わったらそれを売る、みたいな。そう簡単にできるとは思いませんが、そういう生き方には憧れますね。

 東出昌大さんの話、まさにその通りって思った。

定年後は、「晴耕雨読」って名前で、古本屋をやって、

雨の日には店番をしながら、本を読んで

晴れの日は、「下ノ畑二 居リマス」って黒板に書いて、土いじりする......

そういうのもいいな......と妄想する。

 

どんなに、ネットストアが普通になっても、やっぱり本は、本屋さんで巡り合うのがいいと思う。

古本も味があっていい。

そこに、誰かが入れた線なんかがあれば、知らない誰かの人生に、この本はどんな影響を与えたんだろうと、温かい気持ちになる。

新書でも、古本でも、本は手で触れて、鼻でにおいを感じて、数ページ読んでみて、選びたい。

だから、街から本屋さんが消えたら大変だ!

 

ポパイに、私の生まれた街、尾道の個性的な本屋さんのことが出ていた。

「紙片」という本屋さんらしい。無性に行ってみたくなった。

 

尾道にはもう何年も行っていない。

物心つく前には尾道を離れていたが、親戚があったので、子供のころは、花見やら花火やら、四季折々によく行っていた。

今では、行くことがなくなったが、ずいぶん変わり、なんだかとても素敵な街になっているようだ。

ポパイを読みながら、なんだか尾道を歩いてみたくなった。

そういえば、昔、母のアルバムに 尾道の「孔雀荘」という画廊喫茶で、とった写真があったのを思い出した。

吸いもしないたばこを片手に持っていて、写真の端には「たばこは動くアクセサリー」と書いてあった。

まだ私がこの世に生を享けてもいなかったころの1枚。

若かりし頃の母の、すました写真が好きだった。

大人になったら、一度行ってみたいと思っていたけど、そのままになっていたなぁ。

ネットで調べたら、まだやっているようだ。

尾道は歩く街だから、もう少し涼しくなってから、両方目指して行ってみようかな。

「江戸の家計簿」磯田道史 … 今週の読書

 

江戸の家計簿 (宝島社新書)

江戸の家計簿 (宝島社新書)

 

 

「江戸の家計簿」と古典落語

徳川家康が幕府を開いた当時、寒村だった江戸に、町つくりのために、三河駿河から大工などの職人が呼び寄せられた。

そして、支配階層である 武士の生活を支えるために、様々な商人たちも集まってきて、人口100万人を超える大都市が形成された。

そこに住む、庶民の暮らしぶりはどんなだったのだろう。

「江戸の家計簿」には、現代感覚に換算して、収入や物の値段、金銭感覚、娯楽などが

わかりやすく、興味深く 紹介されている。

意外に、大工の年収800万とは高給取りだなぁとか、

同心の年収300万って安っ!とか、

落語によく出てくる長屋の大家って、雇われの管理人みたいなもんだったんだぁ

などなど、新しい発見満載 ‼︎

 

古典落語を聞きながら、ふと疑問に感じることがある。

例えば、

・「大工調べ」に出てくる、大工の与太郎の滞納していた家賃、一両二分と800ってどれくらいなんだろう?

・「芝浜」で、拾った四十二両ってどれくらい?

・「時蕎麦」でごまかした1文は、どれくらい?

などなど......

当時のお金事情や、どういう時代だったのかを、

知識として、解ったうえで聞く古典落語はさらに面白い。

 

今以上の格差社会に生きた江戸時代の人々。

身分制度ゆえに忍ばなければいけないことや、

努力しても変えられず涙を飲むこともいっぱいあったはずだ。

だけど、その中から、名もない庶民の生活を切り取り、のぞいてみると、

人情や、何ともおおらかな笑いに満ちた、魅力的な人たちが飛び出してくる。

人間関係が希薄な現代、

江戸の人情が、疲れた心を、ちょっと和ませてくれる。

 

どの時代にも、暮らしやすさと 生きにくさは共存しているのだろう。

どの時代に生まれても、人には、今いる環境の中でそれなりに楽しめる能力があるのかもしれない。

 

江戸時代に生まれていれば良かったとは思わない。

今が決して「良い時代」だとも思わない。

しかし、人類の長い歴史の中で、自分が今の時代に生きていることを、

根拠はないが「良かった」と感じている。

 

「ある奴隷少女に起こった出来事」 ハリエット・アン・ジェイコブズ(訳 堀越ゆき)… 今週の読書

 

ある奴隷少女に起こった出来事 (新潮文庫)

ある奴隷少女に起こった出来事 (新潮文庫)

  • 作者: ハリエット・アンジェイコブズ,Harriet Ann Jacobs,堀越ゆき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/06/28
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る
 

新潮文庫の100冊」2017 の中の1冊

 

読者よ、わたしが語るこの物語はフィクションではないことを、はっきりと明言いたします。

......

奴隷制によって引き起こされた悪を、私は大げさに書いたわけではありません。むしろ、この描写は事実のほんの断片でしかないのです。

 

このような序文からはじまる本書は、そう、にわかには信じられない が、「実話」なのだ。

160年前に、無名の黒人奴隷女性の手によって綴られ、自費出版され、奴隷解放運動の集会などで細々と売られ、やがてほぼ完全に忘れ去られていたものだ。

執筆から、120年以上の歳月を経て、再発見され学術的な注目を集めることになり、それから、じわじわと読者を増やしながら、この度、新潮文庫の新刊として、書店に並んだ。

 

奴隷州(南部)に、黒人奴隷として生まれた女性は人格を持つことすら許されない。

家畜と同様に、家財の一つとして扱われ、14歳か15歳になるころには、奴隷少女を支配する好色な主人らによって乱暴される。

そして、生まれた子供は、たとえ自由人の血が混じっていようと、「母の身分に付帯する条件を引き継ぐ」ため、生まれながらに奴隷となるのだ。

父親としての愛情がその子に注がれることはない。お金になる家畜が増えるくらいの喜びは、持つかもしれないが......

 

"ある奴隷少女に起こった出来事"

これは、国家、法律、正義にも見捨てられた黒人奴隷の一少女が、人権と自由を手にするため、また、人としての尊厳を守るため、命をかけて戦った記録だ。

私は、今まで、奴隷制度の残忍さを本当の意味で知らなかった。今でも知っているとは言えないだろうが......

歴史としての、奴隷制度や南北戦争について、うすぼんやりと記憶にはあるが、一人の人間としての視点から見ていなかった自分に対して、失望し、愕然とした。

 

人が、当然の基本的人権を手にするために、いったいどれだけの涙、汗、血が流れてきたことか。

いや、本当にこの根深い悪制の名残が、完全に拭い去られることなどあるのだろうか。

 

形は違っても、この日本でも、このような歴史を繰り返し、人としての尊厳を声高に語ることが出来る今がある。

私が、あたりまえのことのように考えていることや正義が、当たり前ではなかった時代を、私は知らないで育った。

当然のもの過ぎて、大事にしてこなかったものが、どれだけ沢山あることだろう。

奴隷少女が手にするために命をかけた、尊厳や信念を、自ら捨ててしまったこともあった......

社会に目を向けると、

格差社会、抜け出せない貧困連鎖、パワハラなど、様々な社会問題が存在している。

形は様々ではあっても、ランク付け的なものの見方が根底にあるのだろう。

どうやら、人類はいまだに、「優劣をつけたがる弱い心」からの自由を手に入れることが出来ないでいるようだ。

 

環境が人の考えを変える。その時々の社会が「正しいこと」として提供するものや、価値観によって、容易に自分の考えが影響されることもあるだろう。

自分は、これから先、社会がどのように変化していっても、勇気をもって自分の価値観を持ち続けることが出来るのだろうか。

 

「ボクたちはみんな大人になれなかった」 燃え殻......今週の読書

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

 1990年代、地方から見る東京はキラキラしていた。

東京に行き東京に愛された人、夢破れて帰ってきた人、そして、遠くから憧れだけを抱いて 傍観していた私。

地方に住む私にとっての東京は、成功の象徴だった。

 

夢なんてなかった。

自信のかけらもなかった。

傷つく勇気もなかった。

息をひそめながら、なんの努力もせず、ただ全てを境遇のせいにして 逃げていた。

そんな私の90年代…

その頃の私には、

社会の一員としてカウントされず、東京の片隅で、這いつくばり、必死にしがみつきながら、逃げ出さず、いつしか東京に認められるようになっていった人たちのことは、全く見えていなかった。

 

"ボクたちはみんな大人になれなかった"

これは、唯一自分よりも好きになった「最愛のブス」がいるだけで、

「夢と目標の前に、今日の晩メシ代がギリギリ」という時代を、

この東京で、踏ん張って生き抜いた 孤独な「ボク」の 私小説だ。

 

「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」

最愛の人に承認される......ただそれだけで、そんな記憶があるだけで、人はこんなにも強くなれるんだ。

 

彼女に教えられたのは、心の傷ってやつにもいろいろあって、時が癒してくれる傷と、膿のようにずっと心の底に居つく傷があるということだった。フェイスブックが無神経に差出した彼女のページを見て、その心に沈殿していた傷がシクシクと突然うずきはじめた。彼女はいつまでも思い出にさせてくれない人だった。

「ボク」とは、まったくちがった場所で生きてきて、同じような経験をしてきたわけでもない私のはずなのに、なぜか胸が、いや腸のあたりが、ギューッと反応する。

好きだった人に、素直に言えなかったことばや、

心を通わせるためのささやかな努力の積み重ねを面倒くさがったこと、

途中で投げ出したままにしてきたことの数々が、

膿のように居ついているのを感じる。

 

 

「いま、孤独なんだ」を「いま、自由なんだ」って言い換えると、鎮静剤くらいには効くんすよ

そうだね。私もそうやって、鎮静剤を乱用しながら生きてきたよ……

 

 

あんなにたくさんの人間と会ってきたのに、誰とも一緒にいることができなかったなあ

そうだね。私たちおんなじだね。出逢ったたくさんの人と繋がる努力をしなかったんだね……

 

いちいち反応しながら、反芻しながら、読んでいた。

 

 

どんなにコミュニケーションが変わってもボクたちは「孤独」が怖いままなんだ。一等星から六等星まで、その光の強さ、大きさはそれぞれ違うけど、もっと速く、もっと深く、本当はみんなひとりぼっちが怖くて、どこかに繋がりたいと叫んでいるように感じた。

 

読んだ後、誰かとつながりたいと、なんとなく思った......

繋がるための、面倒くさいことを、ちょっとしてみてもいいかなと思った......

 

いまが、過去になった時、

私は、何を、どんなふうに思い出すのだろうか......

 

衝撃

仕事帰り、

車を運転しながら、何気なく流れてくるテレビの音を聞いていた……

流れてきた 歌声に、

ストレートな歌詞表現に、

思わず込み上げてきた感情に、

深い衝撃を受けた。

聴き入りながら、涙が流れるのを感じた……

 

いったい誰なんだ?この人は……

テレビに出るのだから、そこそこ有名な歌い手なのだろうが。

 

竹原ピストル

その人は、有名な賛美歌「アメイジング グレース」に自作の詩をつけて 歌っていた。

野生的な風貌と 叫ぶような 独特な歌い方。

これまで、こういったジャンルの歌を自らチョイスして 聴くことはなかった。

そもそも、最近は 音楽番組を見ることもない。

だから、この衝撃は、本当に偶然、「竹原ピストル」の、流れ弾に当たったようなものなのだ。

 

変わった歌だなぁ…から、なんだなんだ! に変わり、

心を撃たれるまでに、それほど時間はかからなかった。

こんな短い、たった1曲で、ここまで 心に訴えかけ、伝えることができるとは、

なんてすごい表現者なのだろうと、すなおに思えた。

もっと、聴いてみたい、追いかけてみたいと思える表現者に出逢った気分だ。

 

ここのところ、いろんな人が、いろんな場で、いろんな方法で、

死について、命について、考え、表現するのを目にする。

それはとても大切なことだと思う。

避けて通りがちな「死」について考える時、生をこれまでとはちがったものとして見るようになり、生きている今を大切に思う気持ちが育つのだろう。