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「名作落語50席がマンガで読める本」......今週の読書

 

名作落語50席がマンガで読める本

名作落語50席がマンガで読める本

 

 マンガで落語ってのはどうなんだろう……

私だけの落語国の住人がいなくなってしまうかもしれないという不安を抱きつつ、手に取った。

今まで、私の想像していた落語国には、イケメンはいない。

女性もそんなに美人はいない。

はっつぁんも熊さんも、どちらかというと、中年で、特に記憶に残らない顔立ちをしている。

というか、顔なんて想像していなかった……

まあ、最近は、喬太郎師匠ばかり聞いていたから、

イケメンや美女を想像することに、無理がある気もするのだが……

だが、このマンガを見てから、落語を聴くと、

睡眠前にいつも聞いている落語に、昨夜はイケメンが登場した。

年齢層も若くなった。

よくよく考えてみると、文七元結の文七だってお久だって

錦の袈裟だって、みんな若者なんだよなぁ……

少なくとも、現代の「お年頃」と比べると、ずっと年齢層が低いはずだ。

若者やイケメンや美女が登場しなかった、自分の想像力のなさに笑えてきた。

 

なんといっても、二つ目ユニット「成金」による解説が、とてもよくわかって面白い。

いっそう落語が身近に感じられる。

 

長屋の付き合いの中には、現代に欠けているものが存在する。

職業柄、地域福祉という観点から物事をみることが多い。

長屋には、衣食住に関する困ったことは全て、お互いに助け合うコミュニティがあった。

「らくだ」では、長屋の鼻つまみ者だった らくだ が、フグにあたって死んだ時、

訪ねてきて遺体を発見した兄貴分と屑屋が、弔いをあげるため、ドタバタと奮闘する。

現代では、孤独死で 何日も発見されないなんてことになっても不思議はないケースだが、

らくだは、翌日には発見され、お金がないなりにも、ちゃんと弔いをあげてもらえている。

江戸には、その成り立ちからか、男性が圧倒的に多く、女性が少数だったため、

一生独身で過ごす男性も珍しくなかったようだ。

お一人様が多いという点は、現代と共通する部分だろう。

だからこそ、世代を超えた濃密な人間関係と、それを鬱陶しく感じない図太さやおおらかさ、規格外の人を排除しない寛容さが、必要だったのだろう。

私が、落語にハマったのは なんでなのかなと、今更ながら考えてみると、

こういうコミュニティへの憧れがあるのだろう。

また、こういう地域作りをしたいという思いがあるにもかかわらず、何もできないでいる、個人の力の限界を感じているからなのだろうと思う。

 

 

 

 

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うちの 書斎の片隅には落語コーナーがある。

滅多に使わない脚立を書棚にしているだけの小さなコーナーだけど、

今、一番心休まる お気に入りの場所だ。