終わり良ければ…

全て良し…とはいかないけれど … 日々の記憶を楽しい記憶に書き換えて終わりたい…

「ボクたちはみんな大人になれなかった」 燃え殻......今週の読書

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

 1990年代、地方から見る東京はキラキラしていた。

東京に行き東京に愛された人、夢破れて帰ってきた人、そして、遠くから憧れだけを抱いて 傍観していた私。

地方に住む私にとっての東京は、成功の象徴だった。

 

夢なんてなかった。

自信のかけらもなかった。

傷つく勇気もなかった。

息をひそめながら、なんの努力もせず、ただ全てを境遇のせいにして 逃げていた。

そんな私の90年代…

その頃の私には、

社会の一員としてカウントされず、東京の片隅で、這いつくばり、必死にしがみつきながら、逃げ出さず、いつしか東京に認められるようになっていった人たちのことは、全く見えていなかった。

 

"ボクたちはみんな大人になれなかった"

これは、唯一自分よりも好きになった「最愛のブス」がいるだけで、

「夢と目標の前に、今日の晩メシ代がギリギリ」という時代を、

この東京で、踏ん張って生き抜いた 孤独な「ボク」の 私小説だ。

 

「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」

最愛の人に承認される......ただそれだけで、そんな記憶があるだけで、人はこんなにも強くなれるんだ。

 

彼女に教えられたのは、心の傷ってやつにもいろいろあって、時が癒してくれる傷と、膿のようにずっと心の底に居つく傷があるということだった。フェイスブックが無神経に差出した彼女のページを見て、その心に沈殿していた傷がシクシクと突然うずきはじめた。彼女はいつまでも思い出にさせてくれない人だった。

「ボク」とは、まったくちがった場所で生きてきて、同じような経験をしてきたわけでもない私のはずなのに、なぜか胸が、いや腸のあたりが、ギューッと反応する。

好きだった人に、素直に言えなかったことばや、

心を通わせるためのささやかな努力の積み重ねを面倒くさがったこと、

途中で投げ出したままにしてきたことの数々が、

膿のように居ついているのを感じる。

 

 

「いま、孤独なんだ」を「いま、自由なんだ」って言い換えると、鎮静剤くらいには効くんすよ

そうだね。私もそうやって、鎮静剤を乱用しながら生きてきたよ……

 

 

あんなにたくさんの人間と会ってきたのに、誰とも一緒にいることができなかったなあ

そうだね。私たちおんなじだね。出逢ったたくさんの人と繋がる努力をしなかったんだね……

 

いちいち反応しながら、反芻しながら、読んでいた。

 

 

どんなにコミュニケーションが変わってもボクたちは「孤独」が怖いままなんだ。一等星から六等星まで、その光の強さ、大きさはそれぞれ違うけど、もっと速く、もっと深く、本当はみんなひとりぼっちが怖くて、どこかに繋がりたいと叫んでいるように感じた。

 

読んだ後、誰かとつながりたいと、なんとなく思った......

繋がるための、面倒くさいことを、ちょっとしてみてもいいかなと思った......

 

いまが、過去になった時、

私は、何を、どんなふうに思い出すのだろうか......