終わり良ければ…

全て良し…とはいかないけれど … 日々の記憶を楽しい記憶に書き換えて終わりたい…

「ベロニカは死ぬことにした」パウロ・コエーリョ(江口研一訳) … 今週の読書

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なんの変哲もない日々の繰り返しに 生きる意味を見いだせず、死ぬことにしたベロニカの 話を 

なんの変哲もない 休日に 読んで過ごした…

 

自殺未遂の後遺症で、余命1週間と宣告された日々を 

精神病院で 「狂人」という レッテルを貼られた人たちとともに過ごす中で 

自己を 抑圧するものから 自分を解放し 

人生の無意味さが、自分の責任以外の何ものでもないことを悟り

生きる喜びを知るようになる

という物語…

 

「狂気」とは なにか

 ベロニカは「私は ただ 自殺に失敗しただけで、狂ってるわけじゃない 」

「狂ってるってことが どういうことなのか わからないの」と言う

その疑問に対する ゼドカ (鬱病で入院している ) の答えが とても興味深い

「自分の世界に住んでいる人はみんな狂っていることになるのよ。…… 人とは違うだけでね」

  … なるほど…

  と、すると  みんななんらかの 「狂気」を持っているということなのだろうか…

「狂気とはね、自分の考えを伝える力がないことよ

  まるで外国にいて、周りで起こっていることは全て見えるし、理解もできるのに、

  みんなが話してる言葉が分からないから、

  知りたいことを説明することもできず、助けを乞うことも できないようなものよ」

人とは違う、自分の世界を、いわゆる「普通の人」に 伝える力がない ことが「狂気」ということなのだろうか?…

「狂気」について このような 解説に触れるのは 初めてだ

 

確かに そうかもしれないな…

人とは違う部分があっても それを伝えるコミュニケーションの方法が「普通の人」に分かるものであれば、それは、「狂気」ではなく、「オタク文化」とか「サブカル」「芸術」「宗教」…などと分類され、許容され、たちまち市民権を得ることになる。

 

シェイクスピは、「狂気と天才を隔てるものは、一重のうすい壁だけである」と言う。

そのうすい壁が、「伝える力」 コミュニケーション能力なのだろうか?

 

「狂気」について、そんなことを考えながら、

一人カラオケに行き、狂ったように5時間 熱唱して帰り、

狂気に満ちた 私の 休日は 終わっていこうとしている

… 熱った喉を 冷たいビールで 冷やしながら …